2010年1月2日土曜日

一年の初めにあたって:記憶力とブログメモの効能

近年本当に記憶力の衰えたボクにとって、このブログにメモを残しておくことは生存の必須条件になっている。新しい医療情報に触れ続け、知力の補完を図ることはこの商売にとって欠かすことができない。一生勉強を続けなくては取り残される。少しでも気を抜くと凡庸なただの医者になり果てるに違いない。しかしながら年をとり記憶力が問題になってくると辛いのだ、これが。

日常の臨床の平凡な繰り返しだけでも、経験の積み重ねは大きいし、判断への自信や要領の良さが鍛え上げられる続けることは実感として了解できるが、一方それだけではいずれ壁にぶつかることも予感する。こわいのだな、その壁がやってくることが。しかしそれでも臨床はできる。まったく問題なくできる。皆それでやっている。だがそれでは全く面白くない。ボクのような性格ではいずれ飽きてしまう。それがこわいのだ。

知力を補完することが必須であるといっておきながら、しかしまったく学会に行かなくなってしまった。しばらくは学会なんか行くものか、と心に決めて商売替えをしたのだから、これはこれで初志貫徹なのだ。かつてのボクには余りに学会やミーティングが多すぎたのだ。これは反動なのだ。学会に行かないボクにとって知力の補完は可能なのだろうか?できるのだ。おそらく問題なく出来るのだろうと(今のところは)たかをくくっている。

そのかわりといってはなんだが、テキストのたぐいを読みまくった。月刊誌ではない。医学部の学生が読む教科書レベルから始めた。専門領域以外の知識はこの30年間分基本にあたったことがない。これは同年齢の医者なら皆同じであろう。必要がないから、なんとかなっているから、そんな時間はないから、そんな余計なことを考えたことなどないから・・・いろいろ思うことはある。ボクが商売替えを図ったとき考えたことは、きっと余裕ができるだろうということ。臨床だけ考えていればいい状況というのは、実に暇である。これは時間的なことではない。時間的には結構忙しい。休みの日もほぼ病棟には顔を出しているしね。これができる環境はしかしなかなか楽しい。認知のばあさんのベッドに行って、会話のような会話でないようなコミュニケーションを取る。とにかく触る。触りまくる。変態だと思わないで欲しい。触るくらいしか出来ることはないのだから。しかしこれがなかなか有効である。入院以来一言も口を開くことのなかったばあさんが、1週間目にこちらの髪の毛を触ってきたりする。2週間目に「せんせー」と初めて口をきいてくれたりする。これはうれしい。このような気分になれることを「暇になった」という。これだけ余裕ができれば、勉強を基礎からやり直してもいいな、できるなと思った。

ボクは外科・消化器外科が本分であるが、商売替えをするにあたり、まず救急医療や整形外科を読み返してみた。これが実に面白い。ボクは学生の頃本当に授業に出ていない。整形外科なんて記憶がほとんどない。学生のボクにとって整形外科の授業は退屈の一言だった。興味がないと全く気力が続かないのが悪い癖である。医者になって、骨折や脱臼はその時その時のいわばon the job trainingで身につけていった。膝の診察法なんてまったく身についていない。必要な機会にあまり出会わなかったからな。もう一度学生に戻ったらそれこそ死ぬ気で整形の授業にでるだろう・・・というのは全くの嘘であり、おそらく整形に関しては授業には興味が持てないだろう。救急の整形外来に一年行かしてやるといわれたら、これは喜んで行く。これは今のボクにも必要なスキルだろうから。

神経内科もテキストを読みかえした。これは面白い。もともと好きだったしね。いやなにも今更「多発性硬化症」や「Dejerine-Sottas症候群」に出くわすかもしれないと予感し勉強したいと思っているわけではない。脳血管イベントは本当に多いし、緊急性も伴っている。消化器疾患で入院している方々が再イベントを起こすことも多いしね。これに適格に対応出来ないようでは医者ではないからな。学生の頃のK教授が常に言っていたではないか「病歴とハンマーだけで診断はほとんどつくのが神経内科である。ただ神経内科の治療はちょっとつらい。」と。実際ハンマーは苦手だが、「嗅いで見る動く車の三つの外、顔聴く下の迷う副舌」を3分くらいでざっと調べ、あと四肢の感覚障害と運動障害を残りの2分くらいで見れば、ヤバイ病態で専門医を呼ぶべきか、様子を見て良いかどうかは大体わかる。この専門医を呼ぶべきかどうか・・・だけなのだ、ボクに必要なスキルは。

循環器内科や糖尿病も大きなテーマであるが、これは難物だ。初めから専門医がフォローしていることも多いしね。ボクが初診で見ることはあまりないが、正常を外れている可能性がある患者予備軍は、まず「運動」と「食事」を指導してみる。食事についてはその場で栄養士のFさんに助けを求める。Fさんはフットワークが極めてよろしいし、きれいで人柄も良いので大抵の患者さんは喜ぶ。他には高脂血症やボクの外来では痛風も多いし、これは薬もいるが、それ以前の生活の改善がなければ話にならない。食事指導を頼むことは実に多いなあ。頼みやすいのである、この病院では。

これやそれや、覚えなければいけないことは山のようにある。そこでブログであるが、これが助かるのである。それ以前にネットの存在が大きいのだけど。ボクは自分のブログを読み返すことが本当に多い。手術前のワーファリンの調整やINRのことなど。最初に記録したころは、こんなに凝固系のおかしな患者が世の中に多いとは思わなかった。腸炎の患者が入るとかならず自分のブログをみる。キャンピロやサルモネラの潜伏期間。腸炎なぞでは以前はやらなかった肛門指診をこの手の病態では必ず行うようにしたのも去年からだ。二つのメリットがある。一つは肛門病変があるかどうかを確認できること。痔や直腸腫瘍のほか宿便性直腸潰瘍なんていう病態もある。病歴で下血があるといえば、自分の目でその下血を見ることができる。黒いか赤いか、タール便かどうか。それ以上に大事なのは、便培を自分の目で確認して出せること。ノロを入院させるわけにはいかないから、速やかに可能性を排除するにはジギタル→培養(さらにはノロの迅速キット診断)が一番である。手袋についた便汁を確実に採取して培養スティックに取るわけだ。

ブログ・ノートがないと覚えられなかった様々な薬。薬の名前が呆け老人であるボクには辛い。グラマリールと理不尽な怒り認知、ひどい三叉神経津や帯状疱疹へのガバペン、老人の震えも実際利き腕だったりするとご飯が食べられないわけだが、これにランドセン、喉の違和感や不快な発作性の発汗に対するグランダキシン等々。喘息や喘息様気管支炎に対する様々な薬剤は、あらゆる医師は現状を再確認すべきだと思う。現代医療におけるステロイドの立ち位置。ピークフローという指標。喘息で使ってはいけない日常薬(この中にはある種のステロイドやNSAIDsがある)などなど。多くは使ったところで大過はないと予想するが、しかし裁判では確実に負けますよと言われるとね。副作用への過剰な配慮はボクのようなロートル医師には馬鹿馬鹿しくも辛いが、若い医者のこれまた過剰なまでの過敏にはおののいてしまう。いらいらしながらも世情に従っているのは、これは代替薬が立派にあることが多いからであり、よりましな薬があるのなら、それを使わなくてはいけない。地雷を踏みそうになりながら、上手に避けて行くには自分なりの記憶の上書きが必要なのだ。知らない薬を覚えることも大変だが、もっと大変なのはなまじっか知っている薬の新たな知識の上書きである。これは相当努力しないとなじめない。高血圧や不整脈の治療薬体系を覚えることはおそらくボクにはもう無理である。しかし、出されている薬(前医からの引き継ぎ薬)にある程度の責任は持たなくてはいけない。ここでジェネリック名が混入してくることの煩雑さは耐えきれないほどであるが、ここでは立ち入らない。アイデアが一つ浮かんだ。今年は薬剤部をもっと鍛え上げよう。上手におだててうまく情報が医師に伝わるようなシステムを作り上げましょう。

ブログで勉強するときに新たに出会う病気がいくつもある。ボクが診たい、経験したいと思って書き留めた病気に出会う経験をいくつもした。乳腺のMondor病もその一つであるし、急性喉頭蓋炎もそうだった。去年の6月頃「一過性直腸痛Proctalgia fugax」という病気のことを書き留めたが、年末12月30日の最後の外来で、まさにこの病気としか思えない32才の女性が現れた。20才と26才の時に発作が起こっている。今回は2日ほど強烈な痛みが肛門に発作性にくるという。ジギタルではかなり強い肛門トーヌスであり、痔核や腫瘍性病変はなさそうである。仙骨面に特に強い痛みがあるが、高野先生のいう硬結はボクの指が短いせいか、触診できなかった。26才の時にはCFから泌尿器から婦人科から総動員で原因を捜したが結局病名がわからないうちに発作が自然におさまったという。「痛みが続くようなら年明けに再度検査をしましょう。病名がわからなかったというのは無理もないかもしれない。あなたのお話しを聞いていると病名が一つ浮かんできて、もしその病気ならあるいは神経ブロックというのが効果あるかもしれません。疑いが強い場合は専門で診る先生がいるので紹介しましょう。」とお話しした。

記憶力の低下は恐ろしい。なんとか生き延びたいし、なにより楽しい臨床生活を送りたい。きついことやいやなことなどは(もちろん数限りなくあるが)書いてもしょうがないし、そんなことを書いてもあとで読む気がしない。趣味に合わない。このブログを書いている唯一の理由は、自分の知識の再構成のためであり、記憶の補完であり、今日これだけ書いただけでもいろいろな病気や薬の名前を思い出すことができた。リハビリで頑張っている認知・骨折のじいさん、ばあさんと実はおなじことをやっているわけだ。今年も続けようと思う。それと今年は久しぶりに学会に出てみるか。そろそろいいだろう。

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