2009年7月20日月曜日

ニコラス・ケイジのノウィングを観る

久しぶりの三連休である。入院持ち患者は14人(連休直前に3人退院)であり、容態はそれほどねまっていないので、連休らしい連休をすごせた。電話連絡のない休みも久しぶりだ。余りに連絡がないから、こちらから電話する日々。

一昨日は日帰りで鹿児島へ行く。そして昨日は暇だったので、映画に出かけた。大体の辺りは付けてシネコンへは行くのだが、何を見るのかは行ってから決める。最近は映画館に行かないので、なにが上映されているのかさっぱりわからない。3週間前に「天国と地獄」を久しぶりに見たとき予告編で二つの映画が印象に残った。新田次郎の「剣岳」の映画化と「ある終末映画」である。飛行機が落ちてくるやつ。事前にネットで調べたら(上映時間)ノウィングというらしい。これを見た。これ久しぶりに琴線に触れる(画像なのに)映画だったかもしれない。(なにしろ面白いと思った「天国と地獄」でさえ、3週間もたつと印象が極度に薄れているこの頃だから、この映画を将来に渡って覚えていられるか自信がない(笑))

旧約聖書で語り継がれてきた人類学的記憶の源泉にはこんなエピソードがあったのね・・・これなら非決定論者も納得するしかない。神話を馬鹿馬鹿しいと貶める私であるが、一方で何故私(たち)が神話的記憶から逃れられないかわからない。逃れられないから、性懲りもなくこんな映画を飽きもせず見に行くのだ。そんなこんなで、忘れられない記憶にはきっと深く重苦しい意味があるのだろうと最近強く思うようになる。忘れたいのだけど、きっと忘れられないようにできているのだ。


近ころは終末論的映画が非常に多い。毎年いったい何個の地球が破滅をむかえていることになるのだろう?いろんな映画で「劫火」を見たが、この映画の劫火は本当におそろしい。すぐそこに現実の地球の劫火がちらほら見えてくるようで、実は吐き気がした。

この映画旧約そのものなんだけど、エゼキエルが2回出てくる。最初はヒロインの母というか予言を残した謎の少女の小屋に貼ってあった終末の預言図。もう一つは、これはなかなか気が付かないと思うけど、エンドロールでこの映画を作成した会社の名前。この映画のフィルムメークには当然何らかの宗教的臭気があるはずなんだけど、ネットのみなさん余りそのことには触れない。

Ezekiel Films
275 Williamstown Road, Port Melbourne, VIC 3207
Website - None Supplied
Email - None Supplied

この映画オーストラリアで撮られたことは承知の事実だけど、作成会社のホームページも無ければ、連絡先もないなんてあり得る?

将来からの読者よ、誤解しないで欲しい。僕はこの映画にいたく感銘を受けているのです。良くできている。本当にそう思います。

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